ペリカンはもういない


ペリカンはもういない

駅前には日通。この光景は当たり前でしたね。

秋田県鹿角市鹿角花輪駅前

【写真教室のご案内】
NHKカルチャー札幌大通教室(担当:上原稔)

NHKカルチャー新さっぽろ教室(担当:上原稔)

いずれも初心者からベテランまで、「何をどう撮りたいのか」「今後どのようなスタイルで撮るか」
など、個別の悩みをお聞きしつつ写真を愉しみ深い世界へ導きます。

※所属する写真家団体「NPO法人北海道を発信する写真家ネットワーク(NORTH FINDER)」
プロフィールはこちらからどうぞ。
様々な写真に関するお仕事をお待ちいたしております。

コメント

  1. ベチ より:

    あずき色の布団袋を思い出します。
    カビの匂いも懐かしいな~。
    ariariさんはニッツーでしたか、私達はマルツーさんでしたよ。
    炭坑町だけの呼び名だったのかな、それとも三笠方面だけとか、年寄りだけだったらチョット悲しいw。

  2. ろだごん より:

    こんにちは!
    マルツーという呼び名を知っていらっしゃる方は、玄人さんです。
    屋号は まるつう です。
    私も仕事で電話するときは、いまだに「マルツーさんですか~?」と言ってしまいます。若い事務員さんはそこで固まります(笑)。
    全国各地で、屋号(丸に通)が書かれている運送屋さんは、その昔「日通さんの系列」であった名残です。名前は変わっても、歴史の長さと信頼は今も昔も変わらない、という心意気だと日通の支店長さんから言われたことがあります。

  3. ariari より:

    ベチさん
    ご無沙汰しております。ぼくも田舎の駅でその布団袋を受け取ったことがw
    丸通は子供の頃はまさにそういう呼び名でしたよ。
    というか、そう思っていたww

  4. ariari より:

    ろだごんさん
    うちの田舎では「まるつう」でしたね。
    むしろ大人になってから日通と呼んでました。
    国策会社でしたから、国鉄と深い縁で。
    我が家の近所にも日通の営業所がありますが看板旧いです。

  5. Toward より:

    マルツーもそうだけれど、私の記憶により強く残っているのは、担ぎ屋のおっちゃんたち。
    貨物が到着すると小麦粉や米の入った袋をえっさほいさと積み込む姿。
    今なら絶対にシャッターを切る絵だけれど、当時は当たり前過ぎた。
    だからこそ、日常こそカメラに収めておかないとと思うのです。

  6. ariari より:

    Toward
    Wellさん
    大抵の町の駅には貨物や荷物列車が到着する時代があって
    農協の倉庫がすぐ近くにあった時代。
    今でも名残は見られますがあの活気はないですね。
    荷物列車の風情は独特で少しですが撮影しています。
    深夜のホームにみなぎる活気が垣間見える瞬間でした。

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