郷愁


郷愁

ドアノーは幼い頃、住んでいた町が工場で汚染されていた事をひどく気にしていたようだ。
それでも自分の故郷の匂いは特別なものであり、すべからず自分の町を愛し、撮り続けた。

ぼくは幼い頃カメラなんぞもて持たせてもらえず小学校が終わると鞄を放り出し駅へと向かった。
徒歩である。(自転車の時もあったのだろうが思い出せない)何をしに行くかと云えば、ただただ
来る日も来る日も列車ばかり見に行くのである。札幌駅の東側には跨線橋があったのだが、蒸気機関車が通れば煙で覆われてしまう。
その、石炭すすの匂いを嗅ぎに行ったものである。
実はけして我家から駅まではさほど近いとは云えない距離故に、ずいぶんと歩いたものだ。
丘珠空港でさえ二時間は歩いたと思う。一緒に行った年下の子は「もう帰る」泣き出したほど。

近所に港や工場、鉄道の操車場などがあった人たちが羨ましい。
カメラがなかったあの頃の記憶の中にしかなかったものをクラウド化できないものか。

駅の裏(現中央郵便局の辺り)にあったキッコーマンの工場、専用線、そんな記憶も擦れて来ている。

やはり思いついた時に写真は撮らねばならない。
記録だの作品だの、表現だの講釈なんて要らないんだ。写真はそこにあるだけでもの凄い力となって甦ってくる可能性だってあるのだから。

若い頃サラリーマンになる寸前引っ越しのため未現像のモノクロフィルム4、50本はあったろうが、
それらをすべて捨てた。何が写っているのかは全くわからない。札幌なのか、東北なのか、はたまた小樽か。

撮った事も思い出せないのだから大したもんじゃなかったんだろうよ、と捨てた。
ぼくは記憶も記録もすべて破棄して写真をやめるつもりであった。
少なくとも、再びフィルムカメラできちんと撮るのはしばらく後の事であった。

コメント

  1. d@m@ より:

    若い頃のドアノーが故郷を撮った写真も写真展でありましたね。
    後の精緻な構図とは違って荒削りではあるけど、
    故郷への愛着・想いがひしひしと伝わってくるような写真でした。
    未現像のモノクロ、残念なことをしましたね。

  2. ariari より:

    d@m@さん
    1930年代〜40年代のがすごく身に沁みました。
    スクエアで初期のローライ、やや甘い描写。そこがいいのかな。
    未現像のフィルムはきっと貴重な光景があったかもです。
    でも思い出せないならそれはそれでいいのかなと思いました。

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