長井市への道のり -7-


長井市への道のり -7-

長井市への道のり -7-

長井市への道のり -7-

長井市への道のり -7-

長井市への道のり -7-

まだ長井市が続いているのにアレですが、長井市へたどり着いているのに、道のり?
という声が聞こえてきそう。そう、確かにたどり着いているのだが、長井市はこんなもんじゃない。
歩けば歩くほどどんどんよくなるのだ。なのでたどり着かないのだ。
もしかすると、何度通ってもたどり着かないのかもしれないね。それが一番いい。

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コメント

  1. 6x6 より:

    本当によく歩いておられますね。
    僕は二回行きましたが、半分も歩いていないのではと反省しております。
    これから何が出るのか、期待してまっております。

  2. 止歩香港 より:

    こんにちは、長井の長い昔話です。
    町中の水路は市の東の最上川と西を流れる野川のおかげ、川に挟まれて市の中心部はほとんど砂地です。水路の水を引き込んだ生け簀がある家があり鯉を食べる習慣がありました。水路を鯉が流れてきて従兄が捕ってみんなで食ったことがあります。最近の話でも鯉を食べる習慣は残っているようです。
    戦後の一時期まではグンゼ製糸と東芝の城下町、周辺は大養蚕地帯、大穀倉地帯、煙草の栽培も盛んでした。一時期市内もホップの林だらけになったことも。小桜城の遺跡も面影もありませんが産業城下町としてかなり豊かで落ち着いた街であったと思います。小学生のころ「禁じられた遊び」見たのは当時あった映画館でした。和菓子の美味い町だったのはその豊かさがあったからでしょう。
    気動車以前の長井線は96の宝庫でした。赤湯で乗り換えると今泉が米坂線の乗り換え駅で長井を直前にして待ち合わせに一時間も停まったままでした。
    奥羽本線で東京から赤湯に行くにはスイッチバックで板谷峠越え、峠駅の力餅が楽しみ。ELになってスイッチバックも峠駅もなくなり直通になりました。これらは新幹線開以前の話です。
    最後に行ったおよそ40年前はANAの727で山形空港往復、子供に飛行機体験させるためでした。山形赤湯間は奥羽本線で、こんな趣味の旅もその後はしたことがありませんし山形新幹線体験もありません。縁者が残っているので行きたいなあと思い続けて何十年、大人になっても蝉取り虫取り魚取りが上手いのも茄子きうりのトゲを知っているのもここの夏休みのお蔭でした。

  3. ariari より:

    6×6さん
    おそらくですね、6×6さんが歩かれた場所とはそう違いない場所ですよ。あの看板もあります。
    本当ならば最上川の付近まで歩く予定が時間切れ、なにせ山形市内に戻るというのもけっこうきつく。
    まだゆっくり行きたいですね。赤湯温泉に泊まれば時間を作れそうな気がします。

  4. ariari より:

    止歩香港さん
    長井の昔話、非常に興味深く、またリアルにこの町を身近に感じました。
    今でもグンゼの跡地には縫製工場があります。稼働しているかどうかはわかりません。
    なかなか雰囲気のいい建物でしたが塀が高くてよく見えなかったのです。
    でもバス停は「グンゼ通り」のままですよ。この町が昔栄えていたことは想像できました。
    お菓子屋さんが多いんです。実はちょっと買っていただきましたが実に美味かった…
    あと、板谷峠沿いにある温泉に昔泊まったら、安いのに鯉の料理が出てきました。
    鯉の洗に、鯉の甘露煮。初めて味わったんですがどれも抜群に美味かったです。
    B727-200が最終運航したのが羽田〜山形便でした。乗れませんでしたが憧れました。
    友人のCAが「初めて仕事に就いた時がB727だったの」と言っていたのを思い出します。
    ぜひ、夏の思い出を蘇らせるためにも長井市へまたお帰りになられることを願っております。

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