室蘭中央町は中央なのか -1-


室蘭中央町は中央なのか -1-

室蘭中央町は中央なのか -1-

室蘭中央町は中央なのか -1-

室蘭中央町は中央なのか -1-
繁華街の中にある寂しさ満載。まあ、地方都市ってそういうもんじゃないかと思うけど、大都会にもこういうシーンがあるので、そう違いはなさそうです。そもそも同じ人類の住む町なんかめっちゃ違ったら困るような気もするけど、その土地にしかない文化とか感じる一面もあるからやはり同じ町はないということでどこだって撮るべき価値は一緒なのだと毎度のことを云う。

コメント

  1. 6x6 より:

    路地のどんつきに光が差す。その光の美しいこと。その美しさが哀しさと切なさと諦めと少しの希望。少し長文コメントになりそうで失礼します。
    素晴らしいカットの数々です。昼間の路地をほっつき歩く僕の眼でみれば、もうこれはレンズが眼そのものですね。
    その場で、そのものを見ているようです。例えば2枚目、これは細い通路の向うを見たその瞬間の印象そのものです。
    僕はここで一呼吸置いてしまうのか、下手な構想を練ってしまうのか、センスがないのか(全部かも)、その瞬間の印象が逃げ去った後の画になってしまうんです。
    このあと、奥の黄色い看板の文字を読んだり、通路の構造なりを確認するじゃないですか。それはそれで良いのだけど、初見のインパクトが写真から消えてしまいます。
    ただ見た瞬間に撮ったということでなく、その感じを持ち帰っておられることに驚きました。風景写真の虹が掛かった瞬間とかではないのですが、それよりも美しいと僕は思います。
    意欲掻き立てられる写真に感謝します。

  2. ariari より:

    >
    6×6さん
    ありがとうございます。まちの写真をここまで読んでいただけることは光栄です。インパクトだけが先行する昨今のインスタ映え的な加工を施す風景写真に警鐘を鳴らすアサヒカメラじゃないですが、誰もが喜ぶような絵を撮らない私にとってはきちんと町と対話する方からのお褒めを頂けることは大変ありがたいことだと思います。SNSより見せやすいブログへのこだわりもあって真面目にやらねばとあらためて引き締まる思いです。
    路地への誘惑を絵にする楽しみは同好の諸氏にしか理解いただけないのですが、目の前にあるものをただひたすらに写真にするということは、どんな景色、風景、だろうと同じくらいの洞察力がいるわけです。黙って撮ってもなかなか思うようにはいきません。ファーストコンタクトはどんなジャンルだろうと大切であり、そのために「撮らない時間」にも撮りたいイメージを心に持つことは大事ですね。こういう場所があったらな、というのを常に描いています。

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