
病院にいてもヒマなわけではなく、結構忙しい。なかなか寝付けないから昼寝してやれ、という訳にもいかないのだ。
さて、本題。先日開催された「都市標本図鑑」をやらせていただき、自分はまったく役に立たないうちに終わってしまったのだが、トークイベントでメンバーと語り合い、はっきりわかったことがある。
それはぼくの写真はまったくもって普通で、あまりにも平凡な日常であることで、それがたいした意味を持っていないことだ。
つまり、町の写真としてはなんの特長もなく、人様から褒められるような要素は一つもないのである。
誤解を恐れずに言う。それを狙って今までやってきたのだ。別に写真家として有名になりたいという野望は皆無だし、たまたま職業として選択してはいるが、特別な人ではない。
実はその辺りはトークイベントでも少しお話ししているのだが、特別に意識して記録しようと町を撮り始めたわけではないし、たまたま町を歩くのが好きなだけであった。子供の頃に冒険心を持ち未知の隣町への漠然とした憧れが、そうさせたのだ。
メンバー6人のほとんどが子供時分に「あそこから先には行ってはダメ」ということを親から言われている。それは当時、迷子や事件事故に巻き込まれるのを避けるための親心だろう。
人は制約の中で想像力をどれだけ発揮するかで将来が決まるのだ。まちを歩く、それが子供の趣味とはまったくヒドイものだが、それにカメラが加わればすごいことになっていたかもしれない。
先にも書いたが、マチアルキニストとして、いまそこにあるまちの空間、建物や看板、標識さえ含めた「都市を構成するもの」をコレクションしたいだけであり他意はない。したがってそれらのコレクションを持ち寄り、同じ匂いがする連中の写真を見て嫉妬するのだ。
展示には一切のキャプションも、撮影者も、撮影地すら記載がない。そこがどこのまちであるか、よりもまちを構成しているものがなんであるか、その方が大事だ。
各自が持ち寄ったまちは、ぼくの言う5歳児のトミカである。普通にそこいらで売っているトミカ。限定品でもヴィンテージでもないトミカだって、5台も揃えば立派なコレクションだ。友人や親戚のおばちゃんが来たら必ず見せて自慢するのだ。
ぼくらが持ち寄ったまちの写真はあまりにも普通過ぎるのだ。それ故に何かが突出したいるわけでもない。いや、もはや写真ですらないかもしれないのだ。
そうなんだ。ぼくは写真家と便宜上名乗っているけれど純粋な都市観察者であり写真は目的ではない。捕虫網を振り回す子供のように、カメラを使いまちの好きな部分だけを採取するだけなのだ。
自分にとって写真に残したいな、と最初に感じたものが鉄道であり、さらに鉄道に乗って秋田まで帰省する道程であった。冒険心を刺激する部品はまちの至るところに隠されているようで、みつけるたびにポイントを稼ぐような気分になって得意になっていたのだ。いまの人はポケモン探しにまちを徘徊するようなものだ。
残念ながら社会人になり、相当な忙しさにストレスを抱えた頃からは、マチアルキニストより温泉巡りばかりになってまちを避けていた時代が長く続いてしまったが、それは仕方ないと感じている。写真を撮るよりまちを歩くより優先すべきものがあったのだから。
長年の葛藤、自分は何のために写真を撮り誰も見向きもしないようなまちを撮り続けているのか。美しい風景や草花ではなく、移ろう四季の光でもなく、ただひたすらに地方都市や農村漁村ばかりを歩くのか。
単純なのだ。人の営みほど美しいものが他にあるだろうか。少なくとも自分はそう思っている。それは同じ思いを持つ6人が便宜上写真というものを持ち寄った時に放たれたとんでもない力の前にぼくたち自身が「選択することの無意味」を悟ったのだ。
まちを好きな連中が、たまたま写真という手法を選択した時点で決まってしまったのだ。撮るもの、撮らないもの。各自が「撮らさってしまった」ものだから除外する写真はない。
積年の葛藤があった。写真を撮ることが本当は好きではないんじゃないか。答えはその通りだ。すでに撮ることが目的になり、さらには仲間を増やして社交辞令のほめ殺しをし合うのが心地いいのに、裏では互いに悪口を言い合うような世界が嫌いだ。