三笠2


三笠2

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三笠2

撮影:5/15 三笠市
LEICA M4 M-ROKKOR 28/2.8 Kodak BW400CN

※7/3-7/8 富士フォトサロン札幌で「フィルム一本勝負<フィルム一本全部見せます!>」開催中です!

コメント

  1. sabi-camera より:

    変電所(?)跡はやはりモノクロがイイですね
    4枚目の….ちょっと言葉に表しにくいですが….イイです

  2. ヤマノモノ より:

    こう云う目でしか旧産炭地を捉えていないのか…
    人間
    /
    人の住む『街』なのに

  3. ベチ より:

    ariariさん良い写真ありがとう。
    そうです、唐松(新幌内)が私の古里でS38年(小3)まで暮らしておりました。
    父は坑内、母は洗炭場で働いてまして二番方での出勤時、学校から帰っている私が「いってらっしゃ~い」をするんです。
    自転車で遠ざかる厳しかった父親の背中が大きく見えたり小さく見えたりしてましたっけ。
    当時の炭坑は事故が多く、集団就職の様な形で何班かに分れ離職して行きました。
    その時、皆が利用したのが『唐松駅』で出て行く者、残る者、皆号泣の別れでした。 青函連絡船出航時でもまた泣いて・・、母は青森に着くまで涙顔だったな~。
    立派な炭坑病院があり、子供のウンチが浮いた炭坑風呂が何箇所にも有りましたね。 多くの人々の暮らしがありました。
    新幌内炭坑には遺跡というものは少なく、父母のアルバムの中と私の記憶の中にしか有りません。
    ariariさんは写真で魅せてくれ、そして残してくれてます。
    それと大事な、写真への概念とスタンスを持っていらっしゃいます。
    貴ブログへ集まる方々は皆理解し拝見していると信じております。
    これからの写真も楽しみにしてますよ。

  4. mamako より:

    なんともいえないですね。
    映画のセットではなく、本当にこんなふうなのですね。
    いつもの暮らしでは決して感じられないものを感じました。

  5. ariari より:

    >sabi-cameraさん
    こんばんは、またこの会期中はお手伝いありがとうございました。
    今回の撮影にも同行頂きありがとうございました。
    三笠、それも奔別は長い間撮ることができませんでした。その理由はお分かりかと思います(笑)。だからこそ、今は撮らなくちゃならないと思いました。

  6. ariari より:

    >ヤマノモノさん
    こんばんは。貴殿は当ブログの過去の写真をすべてご覧頂いた上でのコメントでしょうか。
    私が「町」を撮る場合、そこの町の暮らし(人、生活、を含め)た匂いを大事にします。
    たとえそれが、今は寂れたり、人が少なくなってもです。スタンスは変わりません。
    過去に栄えただろう痕跡を単純にいたずら、おかしく撮ることはしません。
    また、地元の方とできるだけお話をしたり、昔のことを伺って撮ることがほとんどです。
    廃墟の場合でも、立ち入りが禁止されているものなど、勝手に敷地内に入ることもしません。
    (許可を取って撮影していますし、できるだけ尊厳を持ち撮影します)
    しかし写真は現実の世界しか写りません。例え寂れても悲しみが溢れていても、それが現実です。

  7. ariari より:

    ↑続きです…
    旧産炭地であろうと、地方の小さな町でも変わりません。みな、同じです。旧産炭地だから「こう撮りなさい」というスタンスは一般的にありません。それが、町をきちんと撮るには必要なことと私は考えます。「現実」をしっかり踏まえて、そこにあるものを感じるがままに写すのに何ら問題はないと思います。
    私は長い間奔別の「やぐら」を撮ることができませんでした。それは、悲しみの「跡」でもあり、色々な思いが住んでいる方に重くのしかかっているからではないかと感じたからです。でも、それを受け止めつつそこに暮らす人がいる限り町は生きています。三笠は炭鉱住宅も、まだ現役で、色とりどりのガスボンベを備えた暮らしも撮っています。また、新たな公営住宅を建設し、他の多くの旧産炭地より、恵まれていることも知った上での撮影です。
    いつまでも「負の遺産」は消えません。しかし、町は暮らす人にとって何より大切な場所であり、離れ難いのです。訳あって町を去る方の気持ちは痛いほど私は知っています。
    だからこそ、撮らなくちゃならないのです。想いがある場所を記録するのが私のスタンスですから。

  8. ariari より:

    >ベチさん
    こんばんは。大変貴重なお言葉、ありがとうございました。
    私は今回の撮影にあたっては友人と同行していましたが、その際、帰りに「旧唐松駅」に立ち寄りました。
    そこで撮影をし、帰り際、一人の男性が走って私たちを追いかけてきました。それは、その駅を管理されている方でした。「なんだか、普通の撮り方じゃないものを感じたので、ぜひ、中を見てもらいたいんです」と、わざわざ声をかけて頂きました。
    そして、この町の衰退、駅への想い、色々話を伺ってその想いをなんとか絵にしようと想いを強くしました。「町」には喜びも、悲しみもすべて色濃く残っています。長年風雪に耐えた建物にも、です。だから絵にします。
    ※差し入れありがとうございました。みんなで頂いております。

  9. ariari より:

    >mamakoさん
    こんばんは。今日は、イベント参加ありがとうございました。
    長年人の目にもさらされず風化されつつある建物、これも立派な遺産です。
    美しく、ただ撮ればいいというものではないですが(笑)。

  10. ariari ariari より:

    ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

  11. ariari より:

    >ヤマノモノさん
    夜中にコメントありがとうございます。全部見て欲しいと云ったのは私の「写真に対するスタンス」を見て欲しいからです。
    写真は写真でしか伝わらないので言葉を添えることを極力避けます。私が写真を撮る理由は一枚だけで語れません。
    (語れないから写真でお見せしているのです=もっと見てから、ということですよ)
    あと、美点と汚点、それは旧産炭地だけじゃあないです。他にも賑わい、衰退で悲喜こもごもの町はいくらでもあります。そういう現実を知った上で町と向き合って撮っている訳ですから。
    >>貴方は、美点しか見ていないように感じる
    前回のコメントで「人が住んでいる街なのに」とおっしゃいましたよね。その書き方では「人が住んでいるのに汚点を写すな」という意味合いに感じましたが。なので、今回の頂いたコメントは前回と異なったニュアンスに感じます。
    美点だけならいくらでも撮れます。だからこそ、全部見てから仰って下さい。
    他に汚点だけを写した写真を載せたサイトは山ほどありますので、そちらをご覧頂ければよろしいかと存じます。
    (こういうのを鍵コメントで書かない方がいいですよ。ぜひ、オープンで仰って下さい)

  12. 本部長(空知組♂) より:

    ariariさんの写真、現実に対峙する姿勢、真摯であることに疑う余地がないこと、誰しもが知るところです。
    あたしも街、とりわけ旧産炭地が好きなのですが、
    ここまで現実に向き合うスタンスというのは並々ならむ思いがなければできないと思います。
    ちなみに自分の場合、流れている血の4分の1は三笠にルーツがありますし、嫁さんの系列は万字と大夕張と羽幌です。
    ただし、そんなエクスキューズは自分の写真とは関係ないようにしてます。
    なんか産炭地の関係者だからという言い訳みたいですから。

  13. 本部長(空知組♂) より:

    つづき
    でも、ariariさんのように写真だけで表現するのは勇気のいることですよね。
    あたしはかなり文章で説明加えてしまいます。じゃないとうまく表現できてない。
    ただいえるのはひたすら気持ちを込めてそこに住む人にその気持ちを伝えたいということ。
    まるでそこが自分の故郷であるかのような思い、自分をやさしく迎え入れてくれるその地への感謝として。
    夕張本町の飲食店の女将さん、南大夕張鉄道で出会ったお父さん、
    大夕張の元住民の方々、歌舞伎町「夕張」のママ、
    我路のやきとりのおばちゃん、我路の三菱の資料館のおじさん、我路の神社守のおじさん、
    万字の郵便局のお母さん、万字のお寺の奥さん...
    出会ってお話をして、いろんなことを教えていただき、
    親身になってやさしく対応してくれる人々が居る限り、あたしは街を撮り続けます。

  14. ariari より:

    >本部長さん
    わざわざコメントありがとうございました。↓上砂川の方でも(たぶん、お仲間でしょうね)色々コメントしている方がいらっしゃいますが…
    少なくとも私が旧産炭地を撮るように、いや、写せるようになるまで相当の時間を要しています。それには訳がありますが、ここでは割愛するとして、相当の覚悟や下調べ、それに町の出身者の方から話を聞いて撮影するようにしていますから。
    我路を初めて撮影したとき、現地の方から昔の話をたくさん聞きました。「いいことも悪いこともあった。でも、ここが好き」そう、だから撮るんですよね。
    そしてよそ者である私を暖かく迎え入れて昔話をしてくれた。「私もここの町に暖かく呼ばれてきたんだ」そう、大抵の方が移住者でしたからね。三笠の唐松駅の管理人のおじさんも青森からの移住者で、歴史の証人でした。
    そう、撮影するならこちらも礼を尽くして撮る訳です。それが第三者に伝わらないのであれば、さらに撮ります。修行です。量を撮らなくちゃ質はありません。見る方にも全部見て頂きたいのです。

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