1978.4 小樽


1978.4 小樽

1978.4 小樽

1978.4 小樽

1978.4 小樽

1978.4 小樽

ぼくが初めて町を撮ったその日、小樽を歩いてフィルム一本撮りました。
どこをどう歩いたのか、そう多く歩いた訳じゃないんだけど、ここから始まった、ということ。
未公開の写真ばかりですが、作品レベルには程遠く、単なる記録にしなからず・・・
でも、まあ、時を経ればそんな写真もそれなりに意味を持つということかも。
二枚目は今は撤去された手宮線の鉄橋、やはり低いww 今の寿司屋通りです。
ラストカットは手宮線の、あの踏切。ちょうど石炭列車が通過している。
4枚目だけはどうしても場所が分からない。。。まあ、小樽の番人に聞けば一発ですね。
(クリックでどのカットも大きめで表示されます)

個人的には一本目であること、借り物のカメラであること・・・もあって寄ってないですね。
しかも横位置が圧倒的に多いという、今のスタイルとは全然違いますね。
でも、初めての借り物カメラにしてはピントも露出がまあまあ。
このあと、同じ年にようやく自分のカメラ、ニコンFを入手してから撮っています。
そうなれば、寄るわ縦だわ、斜めだわwww「高校生の撮るような絵じゃない」だって。
それも、そののちお見せできればと思います。

撮影:1978.4.5
Canon F-1 + FD 50/1.4 + FUJI NEOPAN SSS

コメント

  1. Rufard より:

    産まれるちょっと前の時代を知りたいと思っていたところにタイムリーな記事!
    ありがとうございます。
    これがariariさんの町撮りの1本目、スタートラインなんですね。
    (密かに、この写真の現在の姿を次回小樽へ戻ったら撮影してこようかと…)
    2枚目とラストがもう感動・感涙。
    特に2枚目は、廃止前に見たはずの光景。今日必死に思いだそうとしてました。
    この写真のおかげですぱっとクリアにw
    しかし4枚目だけが分からないです…。うーん。
    石垣と山、道の奥が突き当たりという特徴的があるんですけれどね。

  2. ainosato より:

    すごいっ すごいっ
    聖地の踏み切りを列車が通過中には参りました。
    四枚目 左の石垣は竜宮神社の石垣では? (現在は、石垣の半分はビルの一部になっていますが)
    竜宮神社の隣の奥まったところに、蔵みたいなのが残っています。あれはこの質屋の名残りでしょう。

  3. hiros より:

    すごいっ!圧倒されます。

  4. bono より:

    おはようございます。
    素晴らしく、懐かしい情景です。
    鉄橋の姿なんて久しぶりにみました。
    職場の車がくぐれなくて、難所だったんです(笑)。
    石炭列車の走る風景も…もうスゴイのなんの(喝采!)
    4枚目は、竜宮神社ですね。
    さすがはainosatoさん、小樽の街角は詳しいですね。

  5. 本部長 より:

    小4でしたね。
    街のレコード屋からはピンクレディの「サウスポー」が鳴り響いてました^^
    1枚目、中央通の現スリラーカラオケの場所からですよね。
    斜め向かいの「みなと歯科」のお嬢さんとよく遊んでました(^。^;)
    焼き芋はよく買ってましたね。
    アウトフォーカスの酒屋、街のA級文化財でしたよ。
    拡幅して喜んでた奴の勢いはどこへやら、拡幅して失ったものが余りにも大きすぎましたね、中央通は。
    で、個人的にはやはり、二枚目の寿司屋通りですよ!
    欲をいえば、ニューギンと北海ホテルの写真があればなぁ、と!
    鉄橋はもちろんですが、この景色、背景に高層マンションが林立してしまって、見るに耐え難い今日この頃です。
    自分が一番萌えたのは「かすり」の上の「くさなぎ」です!!
    ここは肉屋が経営してたレストランでステーキとカツが最高に美味しかったですよ(ハンバーグはイマイチw)^^
    そんな店もなくなりましたorz
    それにしても巨匠はさすがです!
    背景の山で場所はわかっても石垣の配置が気になってピンと来ませんでした。
    空き地になってポツンと蔵があるのが質屋があった名残だったとは!!

  6. mamako より:

    すごい。
    この時代の小樽はまったく知らないけれど
    なぜだかじ~っと見入ってしまいました。
    写真てすごいですね。

  7. ariari より:

    >Rufardさん
    生まれる前かあ・・・しみじみ歳を取ったと実感しますw
    最初の小樽(町を撮ったという意味でも最初なのでしょう・・・)、
    この小樽を撮ってきたことが今につながっています。
    二枚目なんか、もうよくぞ撮っておいたと思いますねw
    ラストもおそらく列車が走ってきて慌てて撮ったんでしょう。
    よくも、まあ、こんな位置から踏み切り狙ったもんです。
    絵的にはまったくNGレベルです。

  8. ariari より:

    >ainosatoさん
    おっしゃる通り、このコマの次に神社の鳥居が写っていましたw
    ただ、スキャンしていないのでどこの神社かわかりませんで。
    そうか、なるほど、と当時どこを歩いたのかどんどんわかってきますw

  9. ariari より:

    >hirosさん
    いや、絵にはなっていないですね。なっていれば昨年プリントしましたw

  10. ariari より:

    >bonoさん
    まだこの年はある程度引いた絵がありますが・・・翌年からは全く場所が分からないww
    記録的には本当にいいなあとは思いますが、個人的にはううむ・・・w
    手宮線の橋げたは低いですね~。今でも「こんなに低かったっけ」と感じます。
    もちろん、bonoさんの職場にあるような車はほぼダメですねw
    石炭列車はネガの状態では気が付いておらず、スキャンして気が付きましたw
    当時、引きのばしていなかったようです。

  11. ariari より:

    >本部長さん
    さすが、街角小僧の時代ですねw中央通りは今でも悔しいです。
    あんなに風情がある通りをこんな風にしちゃって。広くする意味は・・・
    旧いものを残そうとしているように思える小樽ですが破壊活動も盛んです。
    (お金がなくて壊せないから残ったって感じのもありますよね)
    個人的には運河周辺の写真が相当残ってました。
    今思えばもっと町並みを写しておけばと悔やみますが、こればかりは。
    まあ、それでも・・・まだ、眠っているネガもあるでしょう。徐々に・・・

  12. ariari より:

    >mamakoさん
    旧い写真は最終的に記録的になるだけかもしれません。
    ゲージツ的な絵は撮っていませんしw
    でも、そこが、また写真の面白さです。先が見えませんw

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