




「南美唄町」は今もなお往時の面影を有する不思議な空間。
炭鉱に近く、昔は相当賑やかだったことが今もわかる。
洋品店のおばちゃんが見せてくれた写真、森山大道氏が撮った時期に近いようだ。
昔はよかった。でも、今も大事。だって、まだ人が集い生活がある。
撮影:9/26 美唄市南美唄町
PENTAX K-7 + DA 17-70/4 SDM
「南美唄町」は今もなお往時の面影を有する不思議な空間。
炭鉱に近く、昔は相当賑やかだったことが今もわかる。
洋品店のおばちゃんが見せてくれた写真、森山大道氏が撮った時期に近いようだ。
昔はよかった。でも、今も大事。だって、まだ人が集い生活がある。
撮影:9/26 美唄市南美唄町
PENTAX K-7 + DA 17-70/4 SDM
コメント
おはようございます。
私が中学生の頃まで 炭鉱で働いていた祖父の家が美唄の共練団地?の辺りにありました。
玄関の横には大きな石炭庫があって 玄関は広い土間がありお正月にはそこで 親戚一同が集まり餅搗きをしたものです。
長い縁側は日向ぼっこに最適で 夏休みは広い畑でとれたスイカやアジウリ 青くさいトマトに砂糖をかけて食べたりしました。
すぐ近くには 古タイヤを埋めた公園があり 家で遊び飽きたらそこへ行って 日が落ちるまでブランコに乗ったり・・・
夜は 同じ形の家ばかりで 迷って泣いたこともありました・・・
ちょうど 大道氏のお写真と同じ頃のことです・・・
去年 懐かしく想い その祖父の家があった辺りに一人で行ってみましたが 地名も変わっているせいか見つけられませんでした(泣)
家が壊されていることは聞いていたので 無いことはわかっていましたが 何か形に残っているものが見たいと思ったのですが・・・
帰る場所がなくなった・・・そんな想いが滲んできたこと お写真見て思い出しました。
こんばんわ.
ホントにariariさんはいろんなところを熟知していますね.
確かに昔の雰囲気を感じます.
僕も森山大道氏の写真展見て,こういう写真も大切なんだなと思いました.
>ひなたさん
こんばんは。美唄に縁があったんですね。子供の頃の記憶って驚くほど鮮明でもあり、曖昧でもありますが、絶対に忘れないことって多いと思います。
私も母親の実家である秋田での想い出が多くて、そういうことが東北の血筋であることを忘れることがありません。よくも、悪くもといいますか…
炭鉱が閉山されたあと、残った地域、消えた地域様々ですね。炭鉱に限らず産業がなくなると町が荒廃してしまう場合がありますが、今でも痕跡があればまだいい方なのかもしれません。
帰る場所、それはもうご自分で作り上げるしかないのかもしれないですよ。私にもありません。
いや、帰る場所っていつも今、ここにいる場所なのかも。
最近、写真を撮ることに非常にナーバスです(笑)。悪い意味じゃないですよ。
昔を振り返る為に撮っている訳じゃなく、「今の目撃者」にならないと、と強く感じます。
>final_impressionさん
こんばんは。いやぁ、そんなに熟知していることはありません。
かなーり偏っているというか、何といいますか(笑)。
森山大道氏の写真を見て、最初はどこか懐かしいと一瞬感じたんですが、そう、これは懐かしむものではなく、今を見る為に、なんて感じ始めたのです。今、撮らなくちゃどうするの?なんて。
南美唄、通ることはありましたが、どうしても時間がなくてまだ撮影してませんでした(^_^;)
酒屋さんがあって居酒屋があって、お米屋さんがあって、電気屋さんがあって、洋品店がある...
昔は当たり前にあった普通の商店自体が今や絶滅危惧種ですからね。
コンビニやスーパーやホームセンターは便利ですが味がありません。
そういう自分は、酒屋さん、お米屋さん、そして居酒屋もとへスナックは大事にしております◎
(ウチの飲食部門は街の酒屋さん、お米屋さん、八百屋さんから仕入れております...高くても)
商店が生き残れる街に住みたい...自分の切実なる願いです☆
ところで洋品店のお母さんを口説くのはariariさんに敵いまへんなぁ(爆)
>本部長さん
こんばんは。南美唄は避けて通れないんですが、私もお初になりまして。
開いている店が少ない時は、飛び込んで昔の話を聞いてみるってのがいいですね。
今回もおばちゃんとすっかり話が弾んでしまい、危うく写真展の時間に間に合わなくなるところでした。
商店のよさ、これもじっくり話しましたよ。口説いた訳じゃなく普通に(笑)。
今度、倉庫整理のボランティアに行くことになりました(爆)。