あり続けた営みに思う 岩手 2019.05.31 釜石製鉄・栗橋分工場への入口付近に廃屋があった。おそらくは商店だったのだろう。工場は大正時代に休止しているが、ここの集落には(とても狭いエリアなのだけど)お住まいの方がそれなりにおられます。そういう意味ではこういう商店が大事な時代があったことは確実にわかる。いま、この辺の方が何か買い物に出るとすれば相当な移動距離になる。だからといって商いがここで営めるかといえば難しいだろうなと思う。この様子からしても相当前に人が去ったのは明らかなのだ。ここに限らず日本中がそんな「田舎」になってしまっている。なにもないからなにもできない。果たしてそうなのかな。車はすれ違えないほど狭い道路に面しているので撮影は早々に終えて色々考えながら先へ向かうのでした。
コメント
個人的な話ですが、どうしても田舎の祖父母の商店と重なります。
祖父母は、商店を経営し、和菓子を作り、米を作り、ミカン、トウモロコシ、スイカ、野菜等々、農家もやっていました。
一体何故あんな田舎で、そんなことで6人もの兄弟を育て、3人の男の子(父と叔父)を大学まで出すことができたのか、今でも謎です。
というより、田舎の人は何故、住宅ローンもない時代に大きな家を須らく建てることができたのか。
僕が中学生の頃は、夜中には祖父母の商店の周囲には、遠くに暗い街灯があるだけでした。祖父母の自動販売機だけが闇に浮かんでいました。
あの家も今回の写真のようになったかもしれないと思います。今は解体され、叔父が跡地に小さな家を建てて、神奈川と半分づつの生活をしています。
何もなかった周囲に、コンビニとホームセンターとパチンコ屋さんが出来て、夜でも明るくなりました。
人工は減り、観光客の往来も増えていないので、元々それだけの経済活動があったのだろうかと、いつも不思議に思っています。
長文失礼しました。こういう経緯から、こういう商店が「他人事」とは思えないのです。師匠のような方に撮って頂き、商店も喜んでいるかと思います。
廃墟荒らしのYouTuberモドキは、田舎にも増えました。僕も「もし祖父母の商店が廃墟になり、それを誰かが撮ったと写真を見せられ、どう感じるか」という基準で撮るようにしたいと思っております。今回の写真、とても胸を打ちました。
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6×6さん
本当にいい意味での「田舎」というのは一軒家しかないわけで、アパートなどあるわけないだろうと思われますね。あっても駅前の下宿などでした。建築費は日本の場合、今はちょっと高すぎる傾向にあるようですね。その昔は大工さんは一人で家を建てた場合も多く、人件費的なものはいまよりはるかに安かったのかもしれません。うちの秋田の本家、いまは叔父一人ですが、増築も彼が一人でやりました。大工も使わずに…素人なのに凄いなって思います。
そんな集落に一件だけ商店がありました。子供の頃から馴染みで、その店がなくなるまえに店主をモノクロで撮ったんですけど、まあ、撮って良かったなと思いました。でも、あまりに近所過ぎてうちの母などはあまり利用しなかったらしいです。集落に一つしかない店だと、みんなそこに来ては色々話し込むので、あらゆる噂がそこにたまり、店主がまたあちこち言いふらすらしく、母は嫌だったようです。田舎ならではの話だなあと思います。
いわゆる廃屋は撮る基準を自分で決めており、往時の営みを感じられるかどうか、です。かすかに匂うこの建物はギリセーフですね。屋根が落ちていたりすると撮りません。建物の神様がそこから立ち去った感じがします。