1979.1.7 小樽【2】


1979.1.7 小樽【2】

1979.1.7 小樽【2】

1979.1.7 小樽【2】

1979.1.7 小樽【2】

運河の周囲が好きで、結局ここばかり攻めていたあの頃。
もう少し住宅街なども撮っておけばよかったのにね。
これで旧い小樽ネガおしまいです。

撮影:1979.1.7 小樽市

コメント

  1. hiros より:

    「ここばかり攻めていた」んだから、まだまだあるでしょ!
    また見せてくださいね。
    この時代の運河、この目で見たかったなあ。。

  2. ariari ariari より:

    ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

  3. Rufard より:

    北海製罐だ~。今とまったく変わりない姿に感動です。
    でも、何だか2・3枚目の船がもの悲しく見えます。
    運河としての機能を放棄された頃なのでしょうかね。。。
    シリーズ旧い小樽が終わりとは、ちょっと寂しい。
    でも貴重な写真が見られてありがたい限りでした。ありがとうございます。

  4. i_nosato02 より:

    匂いも思い出しますよ。
    一枚目二枚目同じようなカット撮った覚えがあるなあw

  5. 今の舟と比べると、「良くこんなのが浮かんでいたなぁ」ってくらい、
    木造だと重厚感がありますね。
    貴重な写真、ありがとうございました。

  6. 本部長 より:

    え゛っ、終わりですか~ そんなぁ~^^;
    艀は子供の頃の遊び場でした。
    今の勝納埠頭側にたくさん係留されていて釣りも艀に乗ってしてましたね。
    さすがに運河は魚も住めないほど汚れてましたが...
    いやしかし、運河論争っていったい何だったのか考えさせられます。
    ariariさんの写真の船はどれも傷つき捨てられ消え逝くばかりの運命なのが伝わってきます。
    運河もこれらの船と同様の運命だったのでしょう。
    半分残ったものの、保存論者を語る輩の格好の話のネタ、英雄伝にすり替えられ、
    本質は伝わらずにただただ客寄せパンダに仕立て上げられたにしか思えなくなりました。
    だから平気でポプラ切ったり、壁を破壊したり出来るんだと...確信してしまいましたよ(残念)

  7. ariari より:

    >hirosさん
    そうですねー、運河とその周囲ばっかでした。。。でも、絵としてお見せできるのが・・・w
    この時代の運河は観光資源としては全然ダメダメでしたね。
    末期は不衛生極まりない状態でした。。。

  8. ariari より:

    >鍵さん
    はい、デジでOKです~~。よろしくです~

  9. ariari より:

    >Rufardさん
    運河は船捨て場みたいな感じになってきて・・・
    でも、味わい深くていい舟でした。
    石狩も昔は船の墓場みたいな場所がありました。
    運河は車まで捨てられていましたからねえ・・・不法投棄の温床w
    今は奇麗になってよかったけど、周囲の景観も様変わり。。。

  10. ariari より:

    >ainosatoさん
    どぶ川、とも云われていましたからね・・・
    個人的にはこの頃が一番好きでしたが。

  11. ariari より:

    >おつかれさんこんさん
    並みに揉まれたらまさに、木端微塵、というほど疲れた船ばかりでした。
    あの船たちはどこへいったんだろうなあ。。。

  12. ariari より:

    >本部長さん
    複雑でしたね、半分残ること。まあ、運河が埋め立てられたら・・・
    今の小樽もなかったんじゃないかと思います。
    倉敷の美観地区も似ています。ああ、蔵が泣いている・・・
    運河とは周囲の景観を含めたもの、でした。
    本来の機能を失った運河として、今の形は間違っていなかった、とは思います。
    ただ、その裏に隠されていた「運河を残したのは俺だ」的な話は・・・
    第一回運河フェスティバルに参加した人間として複雑に感じますw

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