まちを「編集(編む)」するということ


まちを「編集(編む)」するということ
未だ入院中ですが、意外に順調です。年内には退院できるでしょう。クリスマス退院は無理でしたが。今頃東京在住の友人が新潟は三条辺りを夜明けから歩いているようです。「新潟はいいよ、新幹線ならすぐだから」なんて話をしたのがつい先日、フットワークが軽い人です。なにせ都市標本図鑑にもわざわざ飛行機ですっ飛んできましたからね。ありがたいと思います。

都市標本図鑑は多くの方に喜んで頂きました。なにせ期間が短いこともあり、ゆっくり何度か見たかったと言って頂けたのは嬉しいお話。
「あれ」は写真展ではなく、まちを「編集したもの」にすぎません。都市の再構築、それぞれのまちを持ち寄り編んでみようかと。綿密な編集は初回の打ち合わせで諦めました。違う、こういうことじゃなかった。
まずはどこから見せて、まちに入り込んで頂き、さらにまちにある濃い路地裏に引きずり込もうか。そのための編集作業はしよう。
たぶん自分の写真を編集し直すことは、そうそうないこと。写真展でもやらない限りないかと。今回のように一人の出展枚数が80枚を超える、なんて個展でさえなかなかないです。

物量を投入したから、必ずしも見応えのあるものになるわけではなく、クオリティが求められるわけです。だから編集が要ります。質は撮影者の審美眼にかかってます。(審美眼とは美しいものを選ぶ目線ではないからね)

編集は方向性とか、分類を区別するためでもあります。しかしそれは、ぼくたちの中で「一定の基準」が暗黙のうちに決まっていたようです。そもそも、そういう人たちが集まった時点ですでに編集の第一段階だったのですから。

また自分の撮影にひとつの基準がある、そういうことにも気づかされました。撮る行為から編集は始まっている、いや、まちを選んだ時点から。もしかして、こんな写真を撮ると決めたことが編集作業なんじゃないかと思うのですよ。
一番盛り上がったトークイベントはこちら。

コメント

  1. 6x6 より:

    リンク先、仕事をしている振りをしながら、じっくりと拝見しましたよ。
    会場には行けなくても、雰囲気の一端を垣間見たような気がします。熱い空間ですね。
    松葉杖を持っておられる方の写真がありましたが、師匠ですよね。早くトークセッションの動画見たいです。

  2. ariari より:

    >
    6×6さん
    たぶんまちを撮るのが好きな方なら無条件で楽しんでいただけたと思います。そういう不思議な空間でした。L判地獄、半端ない量の写真も雑多ながら宝探しのようにみなさんが好きな絵を発掘されていました。
    年内退院、とか言いつつ残念ながら越年が決定しました。まだまだ油断できません。動画は二時間にわたるので仲間が編集しています。なにせ映像が音声小さすぎたために、音声のみ収録したものと組み合わせて編集しているようです。

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