記憶の中の小窓


記憶の中の小窓

小学生の頃、父親のおつかいでハイライトを買いに行った店で、
小さな出窓がタバコ用のカウンターだ。近所には毎日のように通った公園がある。
遅くなるまで遊んだことを今でもけっこう細かく覚えているものだ。
閉まってはいるものの、あの商店がこうして残っていることに驚くのだが、
記憶にある様々な断片はどこか焦点は甘く、
記憶を呼び覚ますにはCine-NIKKORが程よい具合に写しとってくれるようだ。

コメント

  1. ベチ より:

    出窓・・・おもいっきり背伸びをしてのおつかいかな。
    褒美に駄菓子も買っていいぞとか・・・。
    大切な想い出がカタチとして残ってるっていいなー。

  2. 6x6 より:

    タバコ用のカウンター、シャッターもそれに合わせたサイズで、いいですね。
    これ所謂Cマウントレンズということなのでしょうか。確かに記憶の中の光景を見るようで、何ともいえない描写です。
    僕の祖父母の家は、田舎の商店でした。煙草も売っていたし、朝6時前から夜11時近くまで見店は開けていました。小学生のころ、そこで店番することが楽しかったです。
    数年前に解体されてしまいましたが、なぜあれを撮らなかったんだろうと後悔しております(撮れなかったのです、なぜか)。
    そんなことを思い出しました。

  3. ariari より:

    ベチさん
    それほど高い場所ではないと、今では感じますね。
    もしかすると子供の時には高く感じたかもしれません。
    ご褒美は記憶にないのです。お釣りも使っていいという記憶も…
    でもファンタ飲んでいた記憶もあるので使った可能性もあります。

  4. ariari より:

    6×6さん
    なんともかわいい小窓です。開いているのを見たかったです。
    もっと子供の頃のたばこ屋が原風景ですが、さすがに現存せず無念です。
    どなたにも忘れられない景色がありますよね。
    それは広角ではく、けっこうピンポイントなイメージかなという意味でこのレンズ。
    Dマウントなんです。カメラはペンタQ7で昔の8ミリムービーレンズなんです。
    記憶にシンクロしやすい画角と描写です。

  5. Rufard より:

    んーむ。そういう子供の頃の思い出の場所、残っているっていいですね。
    最近は花園もだいぶ変わっていて、私の年齢でも子供の頃の建物がなくなっていたり、
    同級生の家すらなくなっているなんてのもあります。
    しかし仰るとおり記憶はどこか曖昧で朧げで、こんな場所にあったんだったかな、
    こんな狭い通りだったかな、こんな大きかったかな、なんて思うこともしばしば。
    子供の頃に比べて得てきたものと、子供の頃に比べて失ったもののギャップが
    そういた感覚につながっているんだろうなぁ、なんて。
    どっちがいいとも言い切れないですが、アレコレ考えるより今は撮るべしと。

  6. ariari より:

    Rufardさん
    残っている場所もあるし、すでに消えちゃった場所も多数ですね。
    ここいら辺はありますがもっとも象徴的だった北光市場が燃えたのが痛い…
    もちろんガシっと6×7で撮ってあるんでいいのですが、やはり悲しいなと。
    ここをXで撮るとおそらくもっと切なくなるんじゃないかって思うのです。
    曖昧なままでいいものってあるんだろうなというのが発想です。
    自分の脳内にある様々な記憶の片隅を表現するのも、今後の課題ではないかと思っています。

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