軽く挨拶の長岡 -2-(終)


軽く挨拶の長岡 -2-(終)

軽く挨拶の長岡 -2-(終)


軽く挨拶の長岡 -2-(終)

軽く挨拶の長岡 -2-(終)

軽く挨拶の長岡 -2-(終)

軽く挨拶の長岡 -2-(終)


初めての町はどんな土地であっても新鮮に感じます。既視感がないからでしょう。似たような光景を見たとしても。なので、町を撮る理由は「持ち帰りたい雰囲気」がるからにほかなりません。例えば明治や大正、あるいは戦前の地元の写真を見たとき「この時代にタイムスリップしてみたい」という思いがありました。
地元に限らず、やはりそういう時代をこの目で見たいと思ったわけです。それは写真の素晴らしさに尽きると思います。
どう頑張ってもぼくらがいま見ている、この瞬間しか撮ることはできません。古い物がいいわけではないのです。
いま、そこにあるものがいいんです。50年後、いや100年後の人々がもしぼくの撮った写真を見てそう思ってくれるだろうか。
「ああ、この時代にタイムスリップしてみたい」
町の空気、匂い、営み、ただただ撮りたいという欲だけで撮っています。

コメント

  1. 6x6 より:

    良いですね。僕は割と駅から離れた商店街を歩いたので(良寛さん所縁の何とかがあった)、ここら辺は歩いていないかもしれません。
    カメラ屋さんとサロンUSAが秀逸です。実際不可能で、可能性は年々薄れていきますが、全ての国に行きたい、全ての町を歩きたいと僕も思っています。
    街は破壊と再生を繰り返しますが、僕は自分が幼少期にあったような町並みが特に好きです。もっと写真が残っていれば良かったのにと思います。
    人は常に、ないものに憧れるのですね。「ミッドナイト イン パリ」という映画があって、現代のアメリカ人がパリでタイムスリップの方法を見つけ、大好きな1920年代のパリに夜な夜な出かけます。
    その時代の女性と恋に落ち、今度は2人で19世紀のパリにタイムスリップします。1920年代の女性は「19世紀のパリこそ最高」と大興奮。でも19世紀のパリの人は「こんな時代はクソ。ルネッサンスのパリに行きたい」と言っている。
    なんか、これと古い町が好きって気持ちが似ているような・・・。
    だから、今と今にそこあるものを撮ろうと、改めて思いました。

  2. ariari より:

    >
    6×6さん
    長岡は全貌をまったくつかめないうちに移動してしまったのが悔やまれます。おそらくもう一度いかねばなりません。
    カメラ店も「この値段じゃ絶対に売れない」という強気の値付けに呆れましたが、意固地な店主なんだろうなと思ってみたり。
    どんなに後悔しても「あの頃」の絵は撮れませんし、もっともっと撮っておけばよかったとの思いは消えません。撮れたものより撮れなかったシーン、町並みほどせつなく記憶に残る物はないです。
    写真に残れば記録にはなりますが、記憶としては薄れそうです。脳が油断するんですよ。なのでいつまでも撮れなかった悔しさを込めて対峙したいと思います。
    映画といえば、旧いフランス映画ってレンズの味わいも含め好きですね。ああいう絵作りが出来たらいいなといつも思います。

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