1975.8


1975.8

1975.8 撮影地不明 (青森県弘前より西で秋田県かもしれない・・・奥羽本線 寝台特急あけぼの)

中学三年の夏休み、ぼくは自転車で生地へ向かった。
急ぐ旅でもなかったので札幌を朝4時頃出発し、中山峠経由で函館へ。
持っていた地図は「日本鉄道地図」のみw
鉄道のあるところ道がある、そう思っていたのだけど、それが間違いだった。
縮尺もいいかげんで、まったく役に立たなかった。

長万部の駅で一泊するか、と思ったけど14時に着いてしまい、それならば・・・
函館へ向かい自転車をこぎ、夜の9時に着いた。

フェリーで青森へ渡ったのだけど、青函連絡船にしか乗ったことのない自分、
当時の東日本フェリー乗り場がわからなくて大変だったことを思い出す。

青森を朝の6時に出発し、秋田の本家へ着いたのが夕方の6時。

自転車でも2日でイケルんだなあ、とか思ったけど帰りは面倒なので、
自転車を秋田から札幌へ送ってもらった。宅急便がない時代、配送料が高く、
親からメチャクチャ叱られたっけw

OLYMPUS PEN EES-2(借り物) + FUJI NEOPAN ss

コメント

  1. d@m@ より:

    青春のひと夏の冒険、誰にでも思い出はありますよね。
    ちょっと恥ずかしかったり誇らしかったり^^
    それにしてもよく親御さん許してくれましたね。
    顛末のオチがariariさんっぽくて笑いましたw

  2. 中3で自転車で秋田まで...すごいですね!
    自転車の送料がしりたいww

  3. Rufard より:

    よくまぁ秋田まで自転車で…。
    私も自転車で遠出した記憶はありますが、過去最高は神威岬までw
    流石に帰りは遅くなってしまって親にこっぴどく怒られたものです。
    「どこまで行ってたの!」「神威岬…」「どこさそれ!」と理不尽にw

  4. swallow より:

    75年ていうと昭和50年か。
    20系「あけぼの」。もう走ってたんだね。
    オイラはすでに高校生だったけど、SLもほぼなくなり、鉄もなぁ...ということで、やはりチャリをやりだした頃だ。

  5. ariari より:

    >d@m@さん
    まあ、ナンと云いますか、ものすごい甘い考えでw荷物も最小限。
    雨なんか降らない前提で出発しています。日帰りか、ってほどw
    泥除けさえない自転車だったし、着替えもほとんどなし。
    うちの親は好きにさせてくれました。信頼が厚かったんですww
    まあ、ラストはホント、ダメっぷりを感じますね。

  6. ariari より:

    >final_impressionさん
    思いついたら、即です。出発の前の日に「おれ、自転車で行くわ」w
    本家にも「着くのは三日後くらいだと思う。」なんていい加減さ。
    送料、忘れましたが電車代よりかなり高くついたと怒られましたww

  7. ariari より:

    >Rufardさん
    あー、一瞬札幌からかと勘違いしちゃった。小樽ですもんね。
    それでも、けっこう(いや、かなり)遠いと思います。
    しかし「どこさ、それw」・・・ぼくは小学生の頃、丘珠空港まで
    歩いてよく行っていました。ええと、今の天使病院の近くからw

  8. ariari より:

    >swallowさん
    お兄ちゃん!ww当時は一歳上あたりだと、ものすごいお兄ちゃんだった。
    そうか、高校生ね。蒸気機関車は苗穂の近く(今もそうだけどw)
    だったので、歩いてよく見に行きました。いい時代だったなあ。
    その借りたペンでカラー72枚蒸気機関車とか撮って、これまた
    メチャクチャ怒られましたw一ヶ月の食費が飛んだ!ってw
    (当時カラーはサービス版で70円もした!)

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